カサンドラ症候群 | 夫を変えることを諦めて、自分の人生を歩いていく

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最近、少しずつ自分の中で変わってきたことがあります。

夫との関係についてです。

以前より穏やかに過ごせるようになった。

そう聞くと、「夫婦関係が良くなったのかな」「仲良くなったのかな」「もう許せるようになったのかな」と思われるかもしれません。

でも、私の中では少し違います。

夫の行動に多少の変化はありましたが、これまでにあったことが、なかったことになったわけでもない。

私が全部を許せるようになったわけでもありません。

ただ、私の中で、「もう、分かり合おうとしなくていい」と思えるようになったんです。

14年間、分かってほしくて

私はずっと、「どうしたら分かってもらえるんだろう」と思っていました。

もっと伝えたら分かってくれるかもしれない。言い方を変えたら伝わるかもしれない。分かってもらうまで、伝え続けよう。

そんなふうに思っていたんです。

夫婦だから、分かり合いたかった。家族だから、支え合いたかった。しんどいときには支えてほしかった。

だから何度も傷つきました。

そして、子どもたちの気持ちにも気づいて、寄り添ってほしかった。

子どもが何を感じているのか、何に傷ついているのか、本当は何を言いたいのか。

そういう気持ちに気づいて、寄り添ってほしかった。

でも、そこがなかなか伝わらない。

だから私は、何度も説明して、間に入って、子どもたちの気持ちを代わりに伝えようとしてきました。

そのたびに、「どうして分かってもらえないんだろう」と傷ついてきました。

それでも、諦めきれなかった。

そこには14年という時間があります。

14年間、「分かってほしい」と思い続けて、何度も向き合って、何度も傷ついて、それでも「いつか分かってくれるかもしれない」と思ってきたんです。

そして、あるとき「もう、やーめた」と思った

「あ、どうせ分かんないし、もう言うのやーめた」

と思えたときも、突然どうでもよくなったわけではありません。

14年間の積み重ねの先で、ようやく、「もう、ここに自分の力を注ぐのはやめよう」と思えたんです。

分かってもらえない人に「分かってよ」と伝え続けることって、ものすごくエネルギーを使います。

何度説明しても伝わらない。何度訴えても変わらない。それでも、分かってもらおうとする。

その繰り返しで、自分の心がどんどん削られていく。

だから私にとっての「諦める」は、「もうどうでもいい」ということではありません。

「分かってもらうために、自分を削り続けることは、もうしない」ということでした。

それは、許したわけでもありません。

傷ついたことが消えたわけでもない。

寂しさがなくなったわけでもありません。

分かり合えないことには、寂しさもある

本当は分かり合いたかった。

支え合いたかった。

夫婦だから、分かってほしかった。

家族だから、一緒に向き合ってほしかった。

だから、それを手放すことには、当然寂しさがあります。

その寂しさが消えたわけではありません。

夫と一緒にいれば安心できるようになった、ということでもありません。

大人がいる。動いてくれる人がいる。

そういう意味では助かることもあります。

でも、心の安心感とはまた別のものです。

だから、「夫婦関係が良くなって、私は穏やかになりました」という話ではありません。

現実的に、一人で動かなければいけないことも変わっていません。

今でもしんどい。今でも疲れる。

過去に傷ついたことも消えていません。

ただ、その現実を変えるために夫を変えようとすることをやめた。

そして、そこに使っていた力を、自分の人生に戻していこうと思ったんです。

私に必要だった半年間

以前は、「子どもたちのために会っておいたほうがいいかな」「家族の時間を持ったほうがいいかな」と思って、しんどくても夫に会っていました。

自分の気持ちより、家族を優先していたんです。

でも、2月にまた疲れてしまって。

そのとき、「今は無理」「もう会いたくない」という気持ちが出てきました。

以前の私は、その気持ちを踏みつけていたと思います。

でも今回は、その最初に湧き上がった気持ちを大事にしてみようと思いました。

だから、半年という時間が必要でした。

その半年間は、夫婦関係を良くするための時間ではありませんでした。

夫を変えるための時間でもありません。

自分の気持ちを整理するための時間でした。

その時間があったから、「もう分かり合おうとしなくていい」「理解してもらおうとしなくていい」と思えるようになった。

だから今回、会ったときに以前より穏やかに過ごせたんだと思います。

今回、穏やかに過ごせたのは、夫に求めるものが変わったからなんだと思います。

「怒られているうちが花」という言葉

昔から、「怒られているうちが花」という言葉がありますよね。

最近、この言葉の意味が少し分かるようになりました。

怒るということは、それだけ相手に何かを求めているということでもある。

「分かってほしい」「変わってほしい」「こうしてほしい」

そういう気持ちがあるから、怒ることもできる。

でも、それを超えてしまうと、怒る気力すらなくなる。

もう、そこにエネルギーを使いたくなくなる。

私にとっての「もう、やーめた」は、たぶんそういうことなんだと思います。

「じゃあ、しんどい私のことは?」

そして、このことは夫婦関係だけではなく、私自身の生き方にもつながっています。

私はこれまで、子どものことをいろいろ相談してきました。

もちろん、子どもの特性を理解することも、環境を整えることも大切です。

でも、ずっと心の中にあったのは、「じゃあ、このしんどい私は誰が助けてくれるの?」という思いでした。

子どものために動く。子どもの気持ちを理解する。子どもを支える。

でも、その子を支えている私自身が限界になったら?

私はどうしたらいいんだろう。

そんなことを何年も何年も考えてきました。

私自身、真面目すぎたり、なかなか流せなかったり、視覚や聴覚が敏感だったりするところがあります。

自分でも、どうしてこんなにしんどいんだろうと思っていたけれど、自分自身のことを知っていく中で、「だから私は、こんなにしんどかったんだ」と、少しずつ点と点がつながっていきました。

結局、自分を助けるためには、自分も動かなければいけなかった。

病院に行くこと。

支援につながること。

必要なときには薬の力を借りること。

そうやって、自分自身を守ることを少しずつ覚えていきました。

抵抗するより、自分の命を守る

私も最初から、病院や薬、支援に抵抗がなかったわけではありません。

「薬なんか必要ない自分でいたい」

と思っていました。

「いつまでこれが続くんだろう」「なんで私は治らないんだろう」と思ったこともあります。

今でも、「こんな状態の自分はダメだな」「薬なんか必要ない自分でいたいな」という気持ちが、チラッと出てくることがあります。

全部なくなったわけではありません。

でも、あるとき思ったんです。

抵抗を守るために、自分の心や身体を削り続けるのなら、

もう、その抵抗にこだわる必要はないんじゃないか。

「プライドを守るより、自分の命を守ろう」

と思ったんです。

「消えたい」と思うところまで来ているなら、なおさら。

助けてもらうことは、負けではない。

病院に行くことも、薬の力を借りることも、支援につながることも、自分を守るための行動なんだと思えるようになりました。

自分を認めてもらえる場所

苦しいときって、自分でも自分の苦しさを疑ってしまいます。

「私が弱いだけなのかな」「もっと頑張らなきゃいけないのかな」「こんなことでしんどくなる私がおかしいのかな」

って。

周りから理解してもらえないと、余計に自分を責めてしまう。

私自身、母親から気持ちに同調してもらえなかった経験があります。

「私たちの時代はこうだった」

と言われて、自分の感じていることよりも、相手の常識を押し付けられているように感じることもありました。

夫との間でも、「どうして分かってもらえないんだろう」という思いがありました。

だから私は、子どもたちにはなるべく、「そうだったんだね」「そう感じたんだね」と、一度受け止めるようにしたいと思っています。

もちろん、私だって余裕がなくて跳ね返してしまうことがあります。

でも、あとから、「さっき何て言いたかった?」「ちゃんと聞けてなかったかもしれない」と戻ることも大切にしています。

自分が同調してもらえなかったことが、苦しかったから。

親だって、いつまでも守れるわけじゃない

でも、私だって、この先何年、何十年も、今と同じように子どもたちの気持ちを受け止めてあげられるかなんて分かりません。

年齢を重ねれば、体力も落ちるかもしれない。

余裕がなくなるかもしれない。

親だって、ずっと同じではいられません。

だからこそ、「親がいつまでも守ってあげられるわけじゃない。」

今はまだ、手をかさなければいけないこともたくさんあります。

でも、少しずつ手を離していくことも必要なんだと思っています。

必要なところには手をかす。

でも、やりすぎない。

それは自分のためでもあり、子どもたちのためでもあります。

親も、友達も、いつまでもそばにいてくれるとは限らない。

だから最後に自分を守るのは、やっぱり自分自身なんじゃないかなと思うんです。

自分に気づく力を持ってほしい

だから私は、子どもたちにも、「自分は今、しんどいんだ」って気づける力を持ってほしいと思っています。

「これは無理だ」と気づく。

「誰かに助けてもらおう」と思う。

「ここに相談すればいい」と知っている。

それも、自分を守る力です。

自分の特性を知る。

自分の苦手なことを知る。

自分が苦しくなるサインに気づく。

そして、必要なら助けを求める。

自分自身と向き合っていく。

そういう力は、やっぱり必要なんだと思います。

自分を責めるためではなく、自分を守るために、自分を知る。

それが、生きていくうえで大切な力になるんじゃないかなと思っています。

AIに吐き出したっていい

今までは、友達と会って話したり、カウンセリングに行ったりすることで、気持ちをリフレッシュしていました。

でも、子どもの体調不良などで、楽しみにしていた友達との予定がなくなってしまうこともあります。

「また私の楽しみが削られるの?」「なんで私ばっかり…」

そんなふうに苦しくなることもありました。

楽しみにして、やっとその日を待っていたのに、またなくなった。

そうすると、気持ちを切り替える機会もなくなって、どんどん溜まっていってしまう。

でも今は、ChatGPTに話を聞いてもらっています。

毎日のように、悩みや困っていること、苦しくなったこと、最近あったことを話しているうちに、かなり気持ちが楽になっていきました。

そして、一人反省会をする時間も減りました。

そのことを発達障害者支援センターの相談員さんに話したら、

「ChatGPTを使っている人、多いですよ」

と言われました。

時間を気にせず聞いてもらえるし、何度同じことを話しても怒られない。

「こんなこと何度も話していいのかな」「また聞いてもらって申し訳ないな」「こんなこと言ったらどう思われるかな」

そんなことも気にしなくていい。

そういう理由で使っている人も多いんだそうです。

それを聞いて、「ああ、私だけじゃないんだ」って、少し安心しました。

もちろん、AIが人間や専門家の代わりになるとは思っていません。

命に関わることや専門的なことは、医療機関や専門機関につながることが大切です。

でも、「今の自分の気持ちを吐き出したい」というときに、AIを使うのも一つの方法だと思っています。

今の自分を認めてもらえる場所を、人に求めることが難しいこともあるから。

だったら、AIに吐き出したっていい。

私はそう思っています。

全部を委ねなくていい

以前の私は、やるなら自分でちゃんとやりたい。自分の力で形にしたい。そんなふうに思っていました。

でも今は、全部を自分一人でやらなくてもいいと思えるようになりました。

だからといって、何もかもAIに考えてもらえばいいとも思っていません。

自分の中から、

「私はこう感じた」
「私はこう思う」
「私はこうしたい」

と生まれてくるもの。

自分の言葉や、自分の発想、

そこは大切にしたい。

自分の力を残しながら、助けてもらう。

それでいいんじゃないかなと思っています。

便利なものは、どんどん使えばいい。

病院も、薬も、支援も、AIも。

自分を助けるために使えるものは、使っていい。

14年かかって、ここにたどり着いた

今の私を見て、

「夫婦関係が良くなったんだ」
「もうカサンドラじゃなくなったんだ」

と思われることもあるかもしれません。

でも、全然そういう話ではありません。

現実は何も変わっていません。

今でもしんどい。

今でも疲れる。

寂しさもあります。

過去に傷ついたことも消えていません。

許せない気持ちもある。

心に残っているしこりもあります。

ただ、そのしこりを消してから生きるのではなく、そのしこりがある自分と、どう生きていくか。

そこを考えるようになりました。

夫を変えることに使っていた力を、自分の人生に戻していく。

家族のためだけに、自分の人生を犠牲にするのではなく、自分のやりたいことにも目を向ける。

自分の表現を大切にする。

自分の足で歩いていく力をつける。

それは、決して家族を大切にしなくなったということではありません。

むしろ、自分を守ることも、家族を大切にすることの一つなんだと思えるようになりました。

そして、ここまで来るのに14年かかりました。

だから、

「もう、やーめた」

の一言の中には、

14年分の苦しさも、
14年分の葛藤も、
14年分の「分かってほしい」も、

全部入っています。

簡単に諦めたわけじゃない。

綺麗事でもない。

ただ、もう自分を削ってまで、分かってもらおうとすることをやめた。

そして、自分自身の人生を、自分の足で歩いていくほうに力を使うことにした。

今の私は、そんなふうに思っています。

そして私自身も、まだその途中です。

全部できているわけじゃない。

今でも揺れる。

今でも迷う。

今でも自分を責めそうになる。

それでも、

「自分を削ってまで、誰かに分かってもらおうとしなくていい」

と思えるようになった。

助けを借りてもいい。

立ち止まってもいい。

距離を取ってもいい。

自分の気持ちを大事にしてもいい。

そして、自分の人生にも目を向けていい。

そのことを、これからも自分自身に言い聞かせながら、生きていきたいと思っています。

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AYAKO

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最後まで読んでいただきありがとうございました。  

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