自分を縛りつけていた思い込み
元々が神経質、心配性な私。
子供を産み、誰も頼れない生活をするようになってからどんどん不安になり、生き辛くなっていきました。
【お母さん】なんだから…、【夫婦】なんだから…、【家族】なんだから…、〇〇しなきゃいけないとこの11年思い過ぎていたところがあります。
この思い込みが自分とまわりを苦しめていたのかもしれません…
頼れないなら一人でどうにか育てていかなきゃいけない、だから私がちゃんとしなきゃ!! 私がちゃんと育てなきゃ!! ちゃんと…という思いが自分自身を苦しめていたのかも…と次女が小学校へ行き、少しだけ子育てに余裕をもてるようになってきた今そう思います。
次女が幼稚園に通っていた3月まではその日を過ごすのに精一杯だったので、先の事なんて考える余裕も無く、歯を食いしばりながらとにかく頑張らなきゃいけない毎日でした。
お父さんが普段いない分何か言われるんじゃないか、お父さんがいない分私がしっかり育てなきゃ‼︎と一人で意気込み、そのプレッシャーで何度も心が潰されそうになりました…
10年間の我慢、平日でもマニキュアを堂々と塗れる喜び
↑考え過ぎ、気にし過ぎですよね…、自分でもそう思います。
でもそう生きるしかなくて…
まわりを気にし過ぎているそんな自分がめんどくさくて嫌になる時があります。
こういう性格がパニック障害になる原因なのかもしれませんね…
何にも考えたくない、無になりたい時があります。
HSPで考え続けてしまうので脳が疲れます…
小さい頃から神経質、心配性でしたが、産後一人で育児する中で子供の湿疹が酷くて何年も皮膚科に通ったり、食物アレルギーがわかりアレルギー反応で顔、体が赤くなっていく子供の姿を見てから怖くて、もっと気をつけなきゃ!!とより神経質、心配性になっていきました。
長女はなかなか寝てくれないタイプの子で、2歳になってからは昼寝もしなかったので、私も睡眠不足、どんどん余裕がなくクタクタになっていく日々。
もっと楽できる方法、家事代行やいろいろなサービスも利用したいところだったのですが、値段が高かったりしてなかなか利用できず、心身ともに限界で一人で全部抱えるのは無理…という状況だったのですが、代わりに子供達を見てくれる人もいなかったのでどうしようもなくて、私が頑張るしかなかった…
地元に戻ってきたものの、母親は祖母の介護、仕事、家事もあり、なかなか子供達を見てもらえない、食物アレルギーがあったので、保育園に預けるのも心配でできなくて…
コロナの流行や、私自身一昨年40歳になった事、去年コロナに感染した事で【死】というものを身近に考えるようになりました。
私の人生このままで終わっていくのは嫌だ、自分の事を後回しにしてきた10年間、そろそろ自分の事も考えていってもいいかな、自分が幸せじゃなきゃ!!と思うように。
なので自分がしたい事を去年から少しずつやり始めているのですが、340日以上一人で子供達を見なきゃいけないこの生活➕自分のしたい事もそこに足していくとなると、何かを諦めなきゃ回らない…
子供達の食物アレルギーも前よりも気にし過ぎなくてもいい程度になってきたので、ちゃんとちゃんと!!と思い過ぎず、少し楽できる方法を覚えてやっていこうかなと思っています。
【〇〇だから、〇〇しなきゃいけない】という考えを緩めていき、【ま、いっか!!】を増やして今より楽に生きられる方法でこの先進んでいけたらいいなと思っています。
なかなかすぐには変われなくても、意識するだけでも違うと思うので。
↓日常、料理レシピなど、もう少しラフに書いているブログはこちら【奥田絢子の足跡探し】
https://ameblo.jp/okudaayako/
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント