カサンドラで苦しんだ私が気づいたこと。「夫を変える」から「私はどう生きたいのか」へ

※本サイトはプロモーションが含まれています。

最近、自分の中で、大きな変化を感じています。

少し前までの私は、夫に分かってほしかった。
私の気持ちにちゃんと向き合ってほしかった。
私の話をちゃんと聞いてほしかった。

何度も伝えて、何度も説明して、
「どうしたら伝わるんだろう」
そればかりを考えていました。

振り返ると私は、
「夫が変われば、この状況も変わる」
そう信じ続けていたのだと思います。

夫と会うたびに、
「少しは変わっているかもしれない」
そんな期待を、どこかで持っていました。

でも、何度伝えても、何度話し合おうとしても、その思いが届くことはありませんでした。

私が心や体を壊しても、状況は変わりませんでした。

そのたびに苦しくなっていました。

そして正直に言えば、今でも苦しくなる日はあります。

「やっぱり分かってほしい」と思う日もあるし、この現実が辛くて仕方ない日もあります。

全部吹っ切れたわけではありません。

それでも、以前とは少し違うことがあります。

私は、ずっと「安心して生きられている」という感覚を持てずにいました。

そんな自分の感覚を、ようやく否定しなくなりました。

私は、「いつか変わるかもしれない」という期待を手放せずにいただけでした。

「私が求めすぎなのかな」

「私が我慢すればいいのかな」

「考えすぎなのかな」

そんなふうに、自分の気持ちを何度も後回しにしてきました。

もちろん、夫婦で深く理解し合えることが理想でした。

だからこそ、子どもたちのためにも夫に分かってほしいと思い、何度も話し合おうとし、伝え方を変えながら向き合ってきました。

でも、それは叶いませんでした。

その分、家族には分かってほしいという気持ちが強くなり、知らず知らずのうちに求めすぎていたのかもしれません。

私は昔から、人との深い繋がりを求める気持ちが強かったのだと思います。

私が本当に求めていたのは、

「心で繋がっていると感じられること」

「安心できる関係の中で生きること」

そんな願いだったのかもしれません。

そして何より必要だったのは、

誰かに認めてもらうことよりも、まず自分自身の感覚を信じることでした。

今も、離婚するかどうかの答えは出ていません。

生活のこと、お金のこと、不安はたくさんあります。

それでも以前と違うのは、

「夫をどう変えるか」

ではなく、

「私はどう生きたいのか」

その問いを、自分に向けられるようになったことです。

安心して生きたい。

心がすり減り続ける毎日ではなく、穏やかに暮らしたい。

安心して生きていくための力を、少しずつ身につけていきたい。

まだ、その途中です。

でも少なくとも私は、

「夫を理解させる人生」から少しずつ降りて、

「自分を生きる人生」の入り口に立ち始めています。

今は、そんな気がしています。

↓私自身、気持ちを整理するために本を読む時間も大切でした。

↓日常、料理レシピなど、もう少しラフに書いているブログはこちら【奥田絢子の足跡探し】

コメント

タイトルとURLをコピーしました