人との距離感に悩む私が、自分を守りながら生きていくために

心

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人の話を聞くと、

「そんな生き方もあるんだ」
「人との距離感って、そんな感じでいいんだ」

と、少し驚くことがある。

私はずっと、ちゃんとしていなきゃいけないと思ってきた。

言い過ぎないように、迷惑をかけないように、空気を悪くしないようにと、人との関わり方にも気を配ってきた。相手の反応を気にしながら話しているせいか、帰ってきてからも「あの言い方でよかったかな」「ちゃんと伝わったかな」「もっとはっきり言えばよかったかな」と、何度も思い返してしまう。

気づけば一人反省会が始まっていて、そんなことを繰り返しているうちに、どっと疲れてしまうこともある。

何年も、何十年も付き合っている友達とは、そんなことを気にせず自然体でいられるのに、そうではない関係だと、頑張って話そうとしたり、会話を盛り上げなきゃと思ったり、相手の反応を気にしながら過ごしてしまう。

人と話すのは好きなのに、普段からワンオペで家のことや子どものこと、学校行事、自分の作業や用事もある中で、人と会う予定が続くと、それだけで余裕がなくなってしまう。

もともと「ちゃんとしなきゃ」という気持ちは強かったけれど、お母さんになってから家のことや子どものことを一人で担う中で、自分がしっかりやらなきゃという思いはさらに強くなった。

私がちゃんとやらなきゃ。
私がちゃんと回さなきゃ。

そうやって無理を重ねていくうちに、自分の気持ちは後回しになっていった。

自由に動けなかった分、自由に動ける夫にイライラしたり、一人で抱えなきゃいけない現実や、変わらない生活にモヤモヤしたり、そんな自分が嫌で、また自分を責めたりしていた。

発達障害者支援センターで「過剰適応」という言葉を聞き、それが自分の生きづらさの一部でもあることに、やっと気づいた。

「損した生き方だ」と言われることもあって、できない自分を否定し続けてきたけれど、自分の苦手なところや、やり過ぎてしまうところにも向き合いながら、自分なりに工夫して生きていけばいいと思えるようになってきた。

やり過ぎないように途中で止まろうとしていても、子どもの体調不良で通院や看病が続いたり、予定外のことが起きたりすると、家のことだけで精一杯になり、自分の作業まで手が回らなくなることもある。

そんな日々の中で、自分にとっての「ちょうどいい」を見つけるのは、まだ簡単ではない。

これまでは、私が頑張ればいい、無理をすればいいと思って、何とかやってきた。

でも、40歳を超えてから疲れ方も変わり、以前のように無理を重ねることができなくなった。そうした変化をきっかけに、誰かに頼ることや、時には諦めることも必要なんだと思うようになった。

自分のキャパを考えながら、少しでも余白を残して過ごしていきたい。

これまで、人との関わりの中で、その場では笑って誤魔化したり、自分の気持ちを飲み込んだりすることも多かった。

伝えたいことがあると、誤解されないように、ちゃんと分かってもらえるように、一つ一つ説明しなければと思ってきた。

どこまで話していいのか、さらけ出しすぎていないかと考えて、しんどくなってしまうこともある。そんな経験を重ねる中で、すべてを言葉にする必要はないし、自分を失うまでさらけ出さなくてもいいと思えるようにもなってきた。

馬鹿正直なところも、真面目すぎるところも、無理に変えようとしなくていい。それが私なんだと思う。

そんな自分を責めるのではなく、人との距離の取り方や、言葉の伝え方を少しずつ考えていけばいい。

馬鹿正直な私のままでいい。

ただ少しだけ、自分を守ることも覚えていく。

自分を押し殺すのではなく、自分が苦しくならない距離を探しながら、人と関わっていきたい。

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AYAKO

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